高松高等裁判所 昭和25年(う)469号 判決 1952年12月23日
控訴人 検察官 被告人 伊藤俊雄 外一名
弁護人 宮崎忠義 外一名
主文
本件各控訴を棄却する。
当審の訴訟費用は被告人両名の負担とする。
理由
検事岡本吾市並びに弁護人藪下吟次郎の各控訴趣意は夫々別紙記載の通りである。
弁護人の被告人等は殺意がなかつたとの主張について
本件訴訟記録並びに原審の取調べた証拠を精査すれば原審がその挙示の証拠によつて被告人等の未必的殺意を認定したのは相当である(原判決中に「落す」云々の文辞があり措辞稍妥当を欠いていると思われるが未必的殺意を認めなかつたものとは解せられない)。弁護人が援用する事実を仔細に吟味しても右認定を非難することは出来ない。論旨は理由がない。
検事及び弁護人の量刑に関する主張について
本件訴訟記録並びに原審の取調べた証拠当審に於ける被告人等の供述を綜合考察すると(一)被告人等は未だ若年にして思慮分別に乏しかつたこと(二)被告人伊藤俊雄は詐欺横領窃盗の嫌疑で検挙せられ起訴猶予になつたことが一回あるきりで所謂前科がないこと被告人松田政司は食糧管理法違反で罰金千五百円、四千円の二回処罰せられたことがあるも他に前科がないこと(三)本件犯行当時被告人等は窮迫のどん底にあつた為被告人伊藤俊雄の両親を頼つて行つたのに対し伊藤俊雄の両親の態度が冷淡であつたこと(四)両親殺害の結果に対する認識も不確定であつて未必的殺意の程度であつたこと(五)当時の社会環境も悪かつたこと等が窺われるのである。従つて両親を殺害してその金品を強奪したということは如何にも重大な結果を招来したものであること検事の所論の通りであるが被告人両名を死刑に処するということは酷と思われる。然し又弁護人所論のように有期懲役を以て処断するということは甚だ軽きに過ぎる案件である。原審が被告人等を無期懲役に処したのは蓋し当然と謂うべきであつて検事及び弁護人の援用する事実を仔細に検討してもこの量刑に対する結論を動かすことは出来ない。論旨は何れも採用しない。
尚職権を以て調査するに刑法第四十六条第二項の「他の刑」とは犯情の軽い無期の懲役又は禁錮、有期の懲役又は禁錮及び拘留であつてこのことは同法第十条第三項の精神同法第四十六条第一項の規定との関連に於て斯く解すべきである。然るに原判決は被告人両名共、判示伊藤タツに対する強盗殺人罪について所定刑中無期懲役刑を選択し被告人両名を無期懲役に処するを以て同法第四十六条第二項により他の罪の刑は科せないと判示し伊藤元三郎に対する強盗殺人罪について所定刑である死刑又は無期懲役の何れを選択すべきか決定せず又無期懲役を選択したこと明らかだとしても伊藤タツに対する罪の刑である無期懲役と犯情を比較して居らないのである。然しこの法律適用の遺脱若くは判示の省略は本件に於ては判決に影響を及ぼさない。
仍て本件各控訴は理由がないから刑事訴訟法第三百九十六条第百八十一条により主文の通り判決する。
(裁判長判事 坂本徹章 判事 浮田茂男 判事 呉屋愛永)
検察官岡本吾市の控訴趣意
(一)被告人等の境遇等 被告人伊藤俊雄は昭和二十一年三月頃復員し、松山郵便局に復職したが間もなく大した理由なしに辞職し、父母の許で徒食中窃盗罪を犯して検挙され起訴猶予となり、昭和二十二年四月頃北九州に行つて炭坑夫として働くうちに負傷し、治癒後坑外夫をなし、相当多額の負傷手当を貰つたが之を競馬等に費消し結局二年余で炭坑をやめ昭和二十四年九月頃から広島市、岩国市方面でルンペン生活に入り、被告人松田政司は昭和二十一年五月頃復員し、真面目な職業に就かず、主食の闇ブローカーをなし、其の間二回に亘つて検挙され罰金刑に処せられ、身持が悪く負債も出来て生活に行詰り、昭和二十四年十月頃より広島市、岩国市等でルンペン生活をして居るうち、被告人両名は相識るに至つた。被告人等は自己の窮状を打開するにつき、其の父母、兄弟、親戚に相談することもなく、自ら求めて斯る悲境に這入つて行つたと窺われるのである。
(二)犯行の動機 被告人伊藤俊雄が生活の疲れを休養のため被告人松田政司を伴つて、昭和二十四年十二月十三日午後三時過に愛媛県新居郡大生院村の実父母の家に帰つて参り、父母に対し自分の苦境を訴える挙措に出ず、商用で九州方面に行く途中立寄つたといつわつたが、母伊藤タツや父伊藤元三郎に於て被告人等が困つて居る事に気付かぬ訳はなかつたと察せられるけれども、被告人伊藤俊雄だけであれば兎も角、見知らぬ風体のよくない被告人松田を同伴して居るので、温い態度で迎えないで一日も早く出て行つてくれよかしに振舞つたのは無理からぬと思われる。被告人伊藤が父母の右態度から容易に父母を縛つて置いて金品を持つて逃げる意思を生じ、被告人松田に相談すると同人も亦簡単に賛成して謀議成り、手拭、綱等を用意して機会を覗うに至つたことは、常識では判断に苦しむ所であるが、被告人等は平然として右謀議を決行しようとしたものである。
(三)本件犯行の手段、方法並に結果 被害者伊藤タツ当六十一年に対しては昭和二十四年十二月十四日午後五時半頃同家居間で、被告人松田政司が突如背後から右腕で首を扼し左手で口を押えて倒しタオルで猿轡をはめ、被告人伊藤俊雄が紐や帯で手足を縛り、人事不省に陥つた同女を蒲団櫃の中に隠し、更に被告人松田がタオルで同女の首を絞めて直に窒息死させた。被害者伊藤元三郎当七十一年に対しては同日同人が勤務先から帰宅し夕食を共にした後の午後七時頃被告人伊藤が背後からタオルで首を絞め、被告人松田が手で口を押えて倒し口腔内にタオル半切を押込み、更に被告人伊藤が手拭で猿轡をなし、被告人松田が白木綿で手足を縛り仮死状態になつた同人を箪笥の中に隠し間もなく窒息死に致した。而して被告人等は被害者方の家内を探して現金六千三百円位並にモーニング外四十点位の目星しい衣類を取り荷造をなし悠々一夜を明かし翌朝逃走した。被告人等の被害者に対する加害行為と死因との関係は被告人松田の所為が直接原因となつて居る。
(四)犯罪後の情況 被害者両名の死体は蒲団櫃、箪笥中に隠匿し、金品物色後の家内は一応取片付けて逃走した為、四日間被害事実の発見が出来なかつたのであるが、其の間被告人等は広島市方面で強奪した衣類を所謂二束三文で売却処分し、強取した現金と共に分配して遊興飲食に費消して仕舞つて居る。
(五)被害者等の性格健康状態等 被害者伊藤元三郎は永年愛媛県下で教員を勤め謹厳実直であり其の妻タツも亦儿帳面で元三郎によく協力し、豊でない家計のうちで多数の子女に相当の学校教育を受けさせ、両名とも老齢の割に元気で生活して居つた、此の両名が突然不慮の死を遂げた事は被告人伊藤俊雄を除く被害者等の子女に対し、極めて甚大な精神的、物質的打撃を与え、人生の最大悲劇であつた。
(六)社会的影響 本件が発覚して新聞に報道されるや、愛媛県下殊に犯罪地に近い東南地方に於ける一般民衆に対し、金品を強取するため一時に両親を殺害したと言う東西古今の人倫に反し犯罪史上稀な事件で其の残忍性に戦慄を覚えさせ、被告人等の処刑につき極めて深い関心を寄せさせたものである。
本件記録を精査すれば被告人等の性格、境遇、犯罪の動機、情状、犯罪後の情況等は叙上(一)乃至(六)記載の通りで、各般の事情を勘案するも被告人等に関し情状酌量の余地は遺憾ながら之を認めることが出来ない。敗戦後強盗殺人等の兇悪犯罪が増加し、社会人心を不安にし我が国の治安を紊して居る事は顕著で、刑事裁判は之等の兇悪犯人に対しては其の性格の矯正に留意するに止まらず、頽廃した道義を昂揚し国家社会の秩序を維持するために断乎として冷厳に法を適用し正義の実現を期さねばならぬと思う。本件は正に斯る事案であるのに原審が被告人等に対し無期懲役を科したのは刑の量定軽きに失し不当であると疑うに足る事由があると思料するから、原判決を破棄し被告人両名に死刑の判決を求めるため本控訴に及んだ次第である。
弁護人藪下吟次郎の控訴趣意
第二、犯罪事実 原判決は被告人両名が被害者両名を殺害する意思があつたことを認定している。然し被告人両名は原審公判廷において全く否認しているが被告人両名は殺害の意思がなかつたことが事実である。即ち、一、被告人両名が被害者宅に来るとき又来たとき共に殺意のなかつたことは原判決もこれを認めている。二、被告人両名が被害者宅に来てからも被害者両名の自由を奪い衣類等を盗む考えであつたことは、被告人伊藤は、私は殺害の意思はありませなんだ。而し私のやつた行為により被害者の死亡したことは間違ありません(記録二八丁)。私は父母を殺したので死刑になると思い自暴自棄の状態で聞かれるままに答えたので嘘もあり当公判廷の陳述と喰違うことがあるかも知れません此の点真正な取調を願います(同三三丁)。私は二、三日もその儘になることはない必ず近所の人が来ると思つた。父は二、三日その儘にして置いて死ぬことはない。むしろ出て来るかも知れないと思つて十五日家を出る時タンスに鍵をかけ母の方は松田が空気が通わぬから二、三日その儘にして置いたら死ぬかも知れぬというので櫃の戸を少し開けて空気を通う様にしました(同四三丁)と述べている。被告人松田は、私は最初から終いまで殺す気はありませんでした。然し私のやつたことで被害者が死んだことは間違ありません(同四四丁)。十四日の晩現金と衣類を盗んで十五日に家を出るとき死ぬかも知れんと伊藤に話したが伊藤は大丈夫だといい母の方は空気の通いが悪いので櫃の蓋を少しいざらして置いたのです。伊藤は「父は教育者だから誰にもいうことはない」と申していたから逮捕せられることはないと思つていた(同四六丁)と述べている。証人福井利明は、伊藤は最初から殺意を認めていた様に思います。松田は未必的には認めていました。然し全面的には最後まで否認していました(同三二三丁)と述べている。
従つて被告人両名の殺意は全然認められない。原判決には被害者タツに対する行為として所謂「落す」ため云々と記載してあるが「落す」とは仮死状態にすることで殺害することではない。若し夫れ被告人両名が被害者両名を真に殺害せんとせばなんぞ本件の如き緩慢なる行為を敢てせんや直に以つて絞殺出来る筈であることに鑑みても被告人両名の弁解は真実であることが明瞭である。
第三、情状 一、本件の動機は叙上の通りであつて真に憫諒すべきものであること。二、本件犯行も殺意がなかつたこと及び被告人両名は被害者の蘇生を暗に期待していたこと。三、本件は被害者タツが被告人伊藤に対する母性愛の欠乏と被害者元三郎が被告人両名に対する冷酷極まる待遇に原因していること多大であること。四、本件行為は真に偶発的行為であつて何等陰謀的行為でないこと。五、被告人両名は公判調書によるも、前途ある青年でその性質及び経歴必ずしも悪人と認め難く又改悛の情明かであること殊に証人伊藤重利は(記録三三三丁以下)、被告人伊藤は大変内気で引込思案の性質であり学校の成績も大変良かつた、復員してから職業をたびたび変更していたのでその点少し変つた様に思います、無心をいつて来たことはありません云々と述べている。証人松田松次郎は(同五四四丁以下)被告人松田は非常に涙もろく人情味ある性質です、軍隊より帰つて気が多少荒くなつた様に思います、時々頭痛がしてマラリヤで床につくことがあつたが乱暴な性質ではありません、と述べているにより明白である。六、被告人伊藤の兄妹は実に涙なくして読むことの出来ないような助命歎願書を原審に提出しているから特に御明鑑願いたい。
(その他の控訴趣意は省略する。)